スティーブ・マックィーンとダスティン・ホフマンの主演映画「パピヨン」。監督は「猿の惑星」のフランクリン・J・シャフナー。
あまたある脱獄映画の一つですが、脱獄方法の奇抜さやスリルで見せる映画ではありません。
映画の後半、パピヨン(マックィーン)は夢を見ます。無実を訴えるパピヨンは「人生を無為に過ごした罪により、有罪…」といわれ、妙に納得する。この挿話にこの映画の一大テーマとなるメッセージがこめられています。
二度目の脱獄に失敗したパピヨンは独房に入れられます。その監獄の所長がいい。パピヨンは五年間も独房生活を送る。やっと監獄の陽の下に出てきたパピヨンに対し、その所長は五年前とまったく寸分たがわない風体で再登場します。その服装、表情、立ちふるまい。
パピヨンは見る影もなくやつれ、5年間という時間をまったく無為にすごしたように見えるが、脱獄の夢にその人生を燃やしてきた。所長はといえば、役目を几帳面にこなすことでやっと人生を支えているともいえます。どちらが悲惨なのでしょう。
囚人でなくても、つねに希望に燃えていない限り、自由人に見えるその人生もその日常もこの囚人たちと同じく悲惨なのではないか?
しかし、平凡な人生とはそういうもの。所長の実直な様や、パピヨンの最後の脱獄を見送るドガの羨望と諦念は、大多数の人々がもつ重く平凡な人生感そのものかもしれません。
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