『暁!!男塾』最終回の一コマ。
苛烈な修練の末、男塾の卒業を迎えた塾生に対し、江田島平八塾長が訓を垂れる場面。
目を坐らせて、塾長があいさつに立つ。
———「皆いいツラがまえになりおった だがこれだけは肝に命じておけ」
これ、最近の本によくある章ごとの「まとめ」というやつやな。もう一度言うからよく覚えておけと。
———「男なら 幸せになろうなどと思うな 幸せになるのは 女と子供だけでいい」
おお! なんだか、身の引き締まるお言葉。やはり、男は、幸せになろうと思うから、こんなにツライのね。
かあちゃんとガキのため。そう思いきれば、殺したい上司も同士に思えてくる。
さらにはこの塾長、これから巣立つ連中に、すぐさまこう浴びせる。
———「男なら 死ねい!」
このコマを目にした瞬間、腹の底から笑いがこみ上げた。
いやわかった。幸せになるのはあきらめよう。
しかし、なんで、いきなり死ななあかんの?
男は、「幸せ」はおろか、「幸せ」と「死ぬ」こととの間で生きることも許されないってわけ?
気がつけばもう30分も笑いが止まらん。これ、なんでいつまでも笑いが止まらんの?
笑いがやっと収まってきたとき、これこそ、笑いごとじゃない、としみじみ考えた。
関東大学ラグビー決勝の早明戦で驚異のロングランを決め、逆転の決勝点を上げた選手がいた。
目の前に繰り出してくる敵を次々とかわして突っ走る。
その表情は究極の恍惚。
その時、彼の頭には「これを決めたら優勝。できなければ敗退」などという勝敗意識はまったくなかったはず。眼中にあるのは、ただ、わらわらと迫りくる敵の波をどうかいくぐるかだけ。
もし勝敗意識がチラとでもかすめたら、彼はランを決めることも、恍惚を味わうこともできなかっただろう。
勝利するかしないか。
負ければ死。
しかし、それがどうでもよくなる恍惚の境地でこそ、他が追随できない至高の力を発揮できる。
「男なら、死ねい」
死にたかない、と思っている限り、幸せは来ないということか。
確かに、達成した時より、そこに無心に向かっていた時のほうが幸せだった気がする。
青い鳥は、やはり未来ではなく、「今ここ」にこそある。
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